東京の空は狭い。
家のドアに鍵をかけて一息ついてから空を見上げる。東京の空は狭い。ビルとビルの間にひょっこりと顔を出すように空は佇んでいる。窮屈だと今にも空が叫びだしそうに見える。でも、その空を救い出すことは私にできるはずがないのだ。なんて、ちょっと小説家みたいなことを考えながら私はカバンを背負い直して歩き出した。
「神宮寺、レン・・・?」
事務所に着くなり聞き覚えのある名前を耳にした。私は復唱してから先輩を見る。すると先輩はにっこり笑って私の肩を軽く叩いた。
「今日のST☆RISHがゲスト出演するテレビ番組の収録でね、神宮寺レンの担当だったスタイリストさんが急に熱出しちゃって、代理でに行ってほしいなって思って。大丈夫、衣装とかはもう決まってるし、いつもやってるような仕事をしてくればいいだけだから」
私はそう言われて渡された資料に目を通した。スタジオまでの地図と衣装の詳細が書かれている。私はそれをカバンの中に入れる。
「お、行ってくれるのね!さすが」
「仕事ですから」
「そうよね、は真面目だし引き受けてくれると思ったわー!さすが!」
先輩は明るい声でそう言って私の背中をぐいぐいと押した。そして事務所のドアを開ける。私が事務所を出て階段を下りようとした瞬間、先輩は何かを思い出したのか「あ!」と大きい声を上げた。私は振り返る。何だろう・・・?
「ST☆RISHだから、気をつけてね」
「へ?」
「バックにシャイニング早乙女がいることを忘れないでね」
「え・・・?ああ・・・」
結局何を言いたいのか分からないまま私が首をかしげていると先輩は溜息をついた。
「だーかーらー。、真面目だし言わなくても大丈夫だと思うけど・・・くれぐれも変なことはしないようにね?・・・たとえば、メンバーと恋愛、とか」
―そういうことか。
私は笑って首を横に振った。
「するわけないじゃないですか」
私がそう言うと「そうよね!やっぱり言わなくて良かったかしらね」と笑って先輩は手を振ってくれた。私はお辞儀して、扉が閉まるのを待った。腕時計に目をやるともうあまり時間が無いことに気づき、私は会談を駆け下りた。
*
スタジオに着くとそこには顔を合わせたことのないスタイリストばかりがいた。それもそのはず。私のような若手スタイリストなんかがこの国民的アイドルグループにつくことなんて滅多にないことなのだ。それは事務所側の策略でもある。なんでも、若手スタイリストが担当でつくと恋愛関係でややこしくなったりすることをおそれているとか。まあアイドルは夢の存在であり続けなければならないという義務があるから、その理由には納得だ。現に私の友人もアイドルの担当をしていて恋愛関係に発展して色々とごたごたが起きて大変なことになったこともある。
私はゆっくりと衣裳部屋のドアを開いた。そこにはメンバーの担当スタイリストがずらっと顔をそろえていて、私が扉を開けた瞬間に視線を一斉にこちらへと向けた。私は思わず息を呑む。
「あなたが代理の?」
「はい、と申します。今日1日ですが、よろしくお願いします」
私が頭を下げるとスタイリストたちは笑い出した。
私は状況がつかめず顔を上げないままぐるぐると思考をめぐらせていた。
どうしよう・・・変なこと言ったかな・・・?
私がそう思っていると、一人のスタイリストが私の方へ近寄ってきた。
「顔、上げなさい。そんな堅苦しくしなくていいから、今日1日頑張ろう?」
そう言ってくれたのを聞いて私は顔をゆっくりと上げた。
「頑張り・・・ます」
私はそう小さく呟いた。
*
衣装の最終確認をしていると、廊下から明るい声が聞こえてきた。
きっと彼らだろう。私は急に緊張がこみ上げてきて呼吸が苦しくなるのを感じた。
正直、国民的アイドルレベルの芸能人を担当したことはなかった。
だから、自分の仕事に対する不安もあるし、何よりそういった未知の存在に対して自分がちゃんと振舞えるかどうかが心配であった。どんどんと彼らの声が大きく聞こえてくる。
そしてドアが開いた。
先頭に立っていた赤髪の男の子(確か一十木音也だったはず)がお辞儀をした。
「今日はよろしくお願いしまーす」
それに続き他のメンバーも挨拶をしてきた。
が、私の担当する神宮寺レンは一番後ろで眠たそうな顔をして頭を掻いていただけだった。
まあ、そんなもんだろう。
元々、彼の路線がそんな感じだし。
なんて思いながら私は周囲を見回していた。
担当スタイリストだけあってか周りはもうすっかり和気藹々としていた。
昨日、スタイリストさんオススメのお店でご飯食べたよーとか、この服いいでしょー?とか
本当に仲のいい友達みたいだった。
「あれ?今日はあのレディじゃないんだ」
と、後ろで大人びた色気のある声が聞こえた。
私がびっくりして振り返ると、それは神宮寺レンだった。
「あの、私、今日代理で来たです。今日1日だけですが神宮寺さんのスタイリストとして頑張りますので、よろしくお願いします」
私がそう言うと彼は私の頭をくしゃっと撫でて微笑んできた。
甘い香りが鼻を刺激する。私は頭がぼやっとするのを必死で阻止しながら彼を見上げた。
綺麗な顔立ち・・・
この甘いマスクは何万人ものファンを魅了し続けている。
それが今、目の前にある―そう思うだけで私は目がくらみそうだった。
「よろしく。じゃあレディ、今日着る衣装見せてくれる?」
「あ、はい」
彼はそう言って私の手に手を重ねた。
私はびっくりして体が固まったように動かなくなってしまった。
この人何なんだろう・・・?
私が固まっているとスッと横に聖川真斗がやってきた。
「おい、彼女がおびえている」
「え?ああ、ごめんね。可愛いレディに見とれちゃってつい・・・」
ぱっと手を離されて、私は聖川真斗を見上げた。
端正な顔立ちでさすがいい育ち、といった感じだ。
私がぺこりと会釈すると彼は表情ひとつ変えずに会釈をしてきた。
「じゃ、じゃあ、神宮寺さん、ちょっとこちらへ・・・」
私がそう言って衣装のかかっているスペースを指差すと彼は頷いてそちらへと向かっていた。
それは糸が切れる一瞬前の事
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120222