もうなんだか分からなかった。気がつけば、タクシーに乗っていて、なぜか隣に神宮寺さんが座っている。私はぼんやりとしながら運転手に行き先を伝えてそのまま目を閉じた。神宮寺さんの手が私の頭に振ってくる。思いっきり振り払ってしまいたいところだが、そんな力は無くて、無抵抗のままじっとしていた。するとその手は私の頭を優しく撫で始めた。温かい―、なんだか自分がとんでもない大馬鹿者にしか思えなくなってきた。その温かい手に罪悪感を覚ええながら、私はそのまま動かなかった。
家の前まで着いて、神宮寺さんが「着いたよ」と囁いた。私は目を開けてカバンから財布を取り出した。するとそれを見た彼は「いいよ」と自分の財布からお金を取り出し始めた。私は慌ててそれを阻止しようとするものの、彼はそれを上手く避けて運転手さんにお金を渡してしまった。
私たちは無言で降りた。そして彼を見上げる。そういえば、どうして降りたのだろう。こうなることは分かっていたはずなのに。このままタクシーに乗って寮に戻ればいいのに、どうしてだろう―・・・と、再び吐き気が襲ってきた。私は思わずその場にしゃがみこんだ。
「ちゃん、」
彼が私を支えた。そして私の手に握られていた鍵をそっと取って「何階?」と尋ねてきた。
もう、どうしたらいいのだろうか―、
部屋に着くと神宮寺さんは私を玄関にそっと座らせてくれた。そして遠慮がちに「あがるよ」と言って台所へと向かった。冷蔵庫を開ける音がする。しばらくすると神宮寺さんは水を注いだグラスを持ってきて私の隣に座った。
「これ、飲んだら少し楽になるよ」
そう言って彼は私の手にそっとグラスを握らせた。口に水を含むとすっきりとした感覚が体中に染み渡った。すると彼はグラスを私の手から取りそれを床に置くと私の肩を抱き寄せた。
「しばらく、こうしてようか」
そう言って彼は私を強く引き寄せた。
どれくらいそのままでいただろうか、私はふっと目を開ける。するともう吐き気は無くなっていて、少し頭が痛いくらいだった。私は引き寄せられたままの状態に気がついて思わず勢いよく身体を離した。そして現実を突きつけられた。あんな風に神宮寺さんに言ったのに、彼はここまで送ってくれて、その上介抱もしてくれている。どうしてこんなにも彼は優しいのだろう。この優しさは偽りでもなんでもなくて、それは彼の手から、そして体温からも感じることができた。
と、彼が目を開けた。目が合う。すると彼は「良かった」と小さく呟いた。私の胸がじん、と痛んだ。
「神宮寺さん、」
「ん?」
「ありがとうございます、こんなことまでしてもらって・・・。明日仕事なのに・・・」
そう言うと「それはお互い様でしょ」と軽く笑った。けれど、私の心は全然晴れなくて、むしろどんどん曇っていくようだった。
「ちゃん、ひとつ聞いていいかな?」
そう言われて私が顔を上げると神宮寺さんは笑った。
「さっきの質問に、答えてもいいかな?」
神宮寺さんはしっかりと覚えていた。私も覚えていた。きっと、記憶がなくなっていない分、私の本音であったのだろう。私は俯きながらも頷いた。すると神宮寺さんは少し息をついて、私の頭を撫で始めた。
「前にも言ったとおり、俺は人のことを自分から好きにもなれないし、愛せないんだ」
分かっている答えに胸が痛む。私はそのままじっと涙がうっすらと目に浮かんでくるのを我慢した。
「だから・・・、好きって言われたら好きだって言うし、愛してるって言ったら愛してるって言う。それでレディたちが喜んでくれるなら、笑顔でいてくれるなら、俺はそれだけでいいんだ」
良いわけないのに・・・、そんなこと今まで彼を見てきた時間は短いけれど、分かっている。でも彼はそう言った。まだやっぱり私と彼の関係は仕事で結ばれた関係であって、友達でもなんでもないんだ。突き立てられたその壁を壊せない自分がなんだか虚しくて、涙がぽつり、と床に落ちた。神宮寺さんはそれを見逃さなかった。私の頭を撫でる手が止まって、私の名前を小さく呟いた。
そうだ、きっと認めるのが怖かったんだ―
でも、
「神宮寺さん、」
もう、ダメだって分かっているから、
どうにもならないって分かっているから、
「寂しいです」
言えるんだ。
神宮寺さんの手が伸びてきて私をぎゅっと抱きしめた。私はその中で溢れてくる涙を流し続けた。
神宮寺さんが、好きなんだ。
私には皆が言う彼の優しさが何より残酷だった
-------------------------------------------
120320