気がついたら私はちゃんとベッドの中で眠っていた。目をぼんやりと開けると真っ白な天井が映される。ゆっくりと身体を起こす、まだ少し気分が悪い。時計に目をやるとまだ出勤時間まで余裕があることに気づいた。私は部屋を見渡す。
確かに、ここに神宮寺さんがいた。きっと夜中にタクシーを呼んで帰ったのだろう。そして、ベッドに自分で入った覚えがないことから神宮寺さんが寝かしてくれたことにも気づいた。私はぎゅっとシーツを握り締めた。
後戻りできないと思ってたら、本当に後戻りできなくなってしまった。気づいてしまった。自分の気持ちに。気づかないように今まで見苦しいまでに否定し続けて、逃げていた。今思うと滑稽だ。後戻りできなくなってしまってこれからどうすればいいのか分からないはずなのに、どうしてだろう。心がすっきりとしている。
「神宮寺さん、」
私はぽつり、とそう呟いてからベッドから抜け出した。
スタジオに着くと、一番乗りが一十木さんだったようで、彼は椅子に座って音楽を聴いていた。と、ドアが開いた音に気づいて、私の方を振り返る。すると彼は驚いたような顔をして立ち上がって近寄ってきた。
「さん、大丈夫!?」
「おかげさまで、大丈夫です。心配かけてごめんなさい」
「それなら良かった。俺ら、心配してたんですよー。ちゃんと帰れたかなあって」
「神宮寺さんのおかげで・・・なんとか」
「レン、こういうこと慣れてるからね。レン自身はいつもあんまりお酒飲まないしね」
彼の名前を何度も聞くと色々と思い出してしまう。私はそれを表情に出さないように必死に堪えた。すると一十木さんが私の顔を覗き込んだ。
「で、二日酔いとかはしてない?」
「してないです、大丈夫ですよ」
私がそう言うと彼は笑って「良かった」と呟いた。と、その時ドアが開いた。振り返るとそこには神宮寺さんが立っていた。私は驚いた。いつもギリギリにくる神宮寺さんがこんな時間に来るなんて・・・。私は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。苦しい。
「レン、早いね」
一十木さんがそう言って彼の元へ駆け寄る。私はどうしていいか分からなくて俯いたままだった。お礼しなきゃいけないのに・・・体が動かない。
「ちょっと、早起きしちゃったからね」
聞きなれたはずの声が今日はなんだかぼんやりとしか聞こえない。まだ、酔っているのだろうか。私は近くにあった机に手をついた。
「ちゃん?」
と、神宮寺さんの声が私の名前を呼んだ。私はゆっくりと顔を上げた。すると彼は笑顔で私の元に近づいてきた。
「体調はどう?二日酔いしてない?」
「・・・はい。おかげさまで・・・あの、ありがとうございました」
私がそう言うと彼は満足そうに笑って私の頭を撫でた。私はその手の大きさと温かさに心地よさを覚えた。
「どういたしまして。ちゃんがいなかったら俺、服着れないもんね」
そういたずらっぽく笑って彼は手を離した。私は気づいた。今まで仕事場でも「レディ」だったのに、名前を呼んでくれている。昨日、あんなふうに私が言ったからなのだろうか。そう思うとやっぱり昨日起きたことは現実だったのだ。なんだか考えれば考えるほど、滅茶苦茶になってきて私は神宮寺さんの言葉に何も反応できずにいた。すると彼は心配そうに顔を覗き込んできた。
「まだ具合悪い?」
「そんなことないです」
「無理しちゃダメだよ」
小さく彼はそう甘い声で囁くように言って荷物を机に置いた。
メンバーも全員揃い、私たちはあわただしく動いていた。神宮寺さんは相変わらずマイペースで自分で念入りにチェックを入れてから私の元へやってくる。それももう4日目とあって慣れてしまったのか、出てくるタイミングもなんとなく分かってきている。私は神宮寺さんがそろそろ出てくるころだと思い、ドアの近くで彼を待った。すると1分も経たないうちに彼が出てきた。スタンバイしている私を見ると神宮寺さんは嬉しそうに笑ってくれた。
「お、分かってるね」
私は少し笑って、彼の服装をチェックし始めた。やっぱり直すところなんてあんまり無い。私はエチケットブラシを取り出して、彼の服にゴミがついていないかを確認し始める。と、神宮寺さんの吐息が聞こえてはっと我に返る。仕事に夢中で自分と神宮寺さんの距離感を気にしていなかった。顔をあげるとそこには神宮寺さんの顔がすぐあって、体が密着しそうな距離感だった。私は思わず「すみません」と謝って少し距離を空ける。すると彼は私の手を握って、空いた距離を元に戻した。私が顔上げると神宮寺さんは耳元で呟いた。
「近くでチェックしてくれないと、困るな」
顔が熱くなるのが分かる。私はもう一度謝って再びチェックに戻った。だが、集中できない。私の心臓の音が外に漏れてしまいそうで、それが神宮寺さんに聞かれてしまいそうで、どうしたらいいかわからない。
チェックを終えると神宮寺さんはにっこり笑ってくれた。私はそれに軽く会釈して机にある資料を取ろうとした。すると神宮寺さんが後ろから私の肩を軽く叩いてきたので振り返ると、顔を寄せて小声で話し始めた。
「・・・昨日のこと、覚えてる?」
私は、黙って頷いた。やっぱりもう後戻りできないんだ。私が頷いたのを確認すると神宮寺さんは私の目を真っ直ぐ見つめた。逸らしたくても中々逸らせない。私がじっと彼の目を頑張って見つめ返していると、ついに彼の方が笑って私から目を逸らした。私はその笑いの真意が分からなくて、不思議そうな顔で彼を見た。すると、タイミング悪く(良く)、スタッフさんが「スタジオ入りしてくださーい」と明るい声で部屋に入ってきたので、神宮寺さんはやれやれといった感じで私の頭を軽く撫でると部屋を出て行った。
振り切れない後悔
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