収録が終わって戻ってきた神宮寺さんは相当疲れたような顔をしていた。やはり、昨日の疲れが残っているのだろう。私は心が痛むのを感じた。―私のせいで・・・。そんな風に思い始めるとキリが無くて、私は後悔がずっと渦巻いている状態に陥った。そのため、表情も自然と暗くなってきて、俯きがちになっていた。
「ちゃん?」
と、神宮寺さんが私の名前を呼んで顔を覗き込んできた。私ははっとして顔を上げて笑顔を作って見せると、彼は少し困ったように笑った。
「大丈夫?」
大丈夫じゃなさそうなのは神宮寺さんの方だよ・・・そう思いながらも私は大きく頷いた。すると彼は少し安心したように笑って頷いてくれた。私はその表情に安心した。
きっと昨日のようなことは彼も慣れているのだろう。かつて「『寂しい』って言えば誰でも抱きしめちゃうような人だから」といわれたことを思い出した。昨日私がぽろっと口にしてしまったが、神宮寺さんは噂通り、抱きしめてくれた。あの心地よさは今でも鮮明に覚えている。私にとってはこんなこと初めてだったが、神宮寺さんにとっては日常茶飯事なのだろう。別に私が特別な理由はどこにもないし、向こうは至って冷静できっと「ああ、またか」なんて心の中で思っていたに違いないだろう。そう思うと、それが正しすぎて、どこにも穴が見当たらない理論すぎて悔しさにも似た感情が心の中を締め付ける。きっと報われない、というのはこういうことを指すのだろう。
と、また考え込んでいると神宮寺さんが思い出したように口を開いた。
「あ、俺これから雑誌の取材受けるんだった。ちゃん、ちょっと待っててね。衣装このまま着ていっても大丈夫?」
「あ、はい」
私が頷くと彼は「行ってきます」と小さく言ってから部屋を出て行った。
―少し、休憩しよう。そう思い、私は部屋を出て自動販売機のあるロビーへと向かった。
ロビーに行くと、そこには一ノ瀬さんが座っていた。彼は私に気づくと軽く会釈した。私も同じように返して、いつもの缶コーヒーを購入する。そして一ノ瀬さんと少し離れた席に座って天を仰いだ。
「昨日は大丈夫でしたか?」
と、一ノ瀬さんの声が聞こえてきた。周りを見回しても人はいない。きっと私に問いかけているのだろう。私は慌てて頷いた。
「おかげさまで・・・。大変ご迷惑をおかけしました」
私がそう言うと彼は「いえいえ」と言いながら缶の飲み物を飲み干した。一ノ瀬さんと話すのは初めてだったので、私はなんだか緊張した。毎日顔を合わせているのに、どうしてだろうか、一ノ瀬さんと話すとなるとどうしても身構えてしまうのだ。と、彼がすっと立ち上がって、缶をゴミ箱へと捨てた。そして、その足で私の席の方へと向かって歩いてきて、私を見たかと思うと隣に腰掛けてきた。
「昨日、レンは夜遅くに寮に戻ってきました。私はてっきり女性の家にでも寄って泊まってくるのだろうと思っていたのですが、ちゃんと戻ってきたので少し驚きました」
「そう、なんですか・・・」
「レンは帰ってきた時、どこか悲しそうなそんな表情をしていました」
「え・・・」
悲しい表情・・・どうしてだろうか、心当たりが全く無い。私は少し胸がちくっと痛むのを感じた。
「私の知る限りですが・・・、女性の元から帰ってくるときにはこんな表情を見せたことがありませんでした」
「・・・」
「では、昨日はどうしてそんな表情を見せたのでしょうね」
「・・・」
黙り込むしかなかった。なんだか頭の中でうまく整理が出来ない。神宮寺さんを悲しませたのは私、ということになるのだろうか。でも、彼が悲しむ理由がイマイチ分からない。何が原因だというのだろうか。私が考え込んでいると、彼はすっと立ち上がって楽屋へと戻っていった。私は一ノ瀬さんの姿が見えなくなるとぎゅっと缶を持つ手に力を込めた。
缶コーヒーを飲み干し、戻ると神宮寺さんも帰ってきていて私服に着替えていた。今日はもうこれで終わりだ。アイドルにとって午後が丸々オフになる日はきっとさぞかし貴重なものだろう。私も神宮寺さんの専属スタイリストとしてのお仕事はもう今日は無いため、事務所に戻るつもりで荷物をまとめ始めた。と、不意に神宮寺さんが隣にやってきた。甘い香りが鼻をくすぐる。この感じにも慣れたはずなのだが、どうしてだろうか。心臓がはちきれそうなくらい苦しい。それに加え、先ほどの一ノ瀬さんとの会話がさっきから頭の中で繰り返し再生されている。私はどうにかなってしまいそうなくらい動揺していた。荷物をまとめる手が少し震えているようにも見えた。
「ちゃん」
と、彼の甘い声が私の名前を紡ぐ。私はバッグを持つ手に力を込めながら平静を装いながら神宮寺さんの方を向いた。
「ちょっと、これから時間あるかな?行きたいところがあるんだ」
断りたかった。でも、神宮寺さんの目を見たらそんなこと言えなくて、むしろどこかで何かを期待しているような自分が心の奥底にいるような感じがした。それが私には酷く滑稽に思えて嫌だった。でも、そんな自分に身を委ねてみたくなった自分がいて、私は小さく頷いた。すると神宮寺さんは嬉しそうに笑った。
―きっと、これでいいんだろうな。
明るい影の隣
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120409