彼らよりも先に私たちは次の収録現場へと向かった。衣装の確認をしなくてはならない。私は神宮寺さんの衣装の前までいくと、サイズから確認を始めた。チェックした後は渡されたプリントに確認のサインを書かなければいけない。私はポケットからボールペンを取り出し、小さくサインする。と、隣に一ノ瀬トキヤの担当のスタイリストさんがやってきた。
「さん、もう慣れた?」
「ええ、まあ・・・」
「いきなり来て、いきなり神宮寺さんの担当だもん。私、心配しちゃったわ」
そう言って苦笑するとスタイリストさんに私はやっぱりな・・・と思いつつサインを書き続けた。やはり、彼は要注意人物なのだろう。きっと、さっき私にしたようなことを他の女性にもしていて、彼女と呼ばれる存在も指で数え切れない程度の数いるにちがいないんだ。私は自然とペンを持つ手に力が入った。すると、それを見ていたのか彼女は慌てたように「で、でも悪い人じゃないのよ」と謎の弁解をし始めた。私がそれを見て黙って頷くと彼女は一瞬考え込んでから口を開いた。
「ただ、少し女の人絡みになると面倒かもしれないわ。あのシャイニング早乙女も何回も警告はしているそうだけど、やっぱりそういうことが後を絶たなくてね・・・」
「ああ・・・」
確かに私の事務所でもそれは話題になったことがある。あの国民的アイドルST☆RISHの神宮寺レンは何人もの女性と写真を撮られてきていたが、どれも全てシャイニング事務所によって揉み消されている、と。やはり、アイドルたるもの夢の存在でいなくてはならない。アイドルに彼女がいるなんて知られたらそれこそ今後の活動にも影響が出てしまう。数あるアイドル事務所の中でも特にシャイニング事務所はそういったことには特化していて、アイドル養成学校でも恋愛禁止を命じているそうだ。何故そこまで・・・、と考えるが、やはり今のアイドル界を担い、人々に夢を与えている彼らのルーツを辿ればそういったことも肯定せざるをえないのだろう。
「まあでも、あなた真面目みたいだし、問題はなさそうだわ。良かった、あなた若いから心配したのよ。神宮寺さんにそういう感情抱いちゃったらどうしようって。あの人、基本的に来るものは拒まないし、女性に優しいから。『寂しい』って言えば誰でも抱きしめちゃうような人だから」
「『寂しい』か・・・」
そんな神宮寺さんこそ『寂しい』んじゃないかって思うのは、私だけなのだろうか。まあでも私が首を突っ込む話ではない。私はサインを終えたプリントを机に置いて、神宮寺さんの着るレザージャケットをハンガーからはずして運んだ。レザーの独特の匂いが鼻を突く。と、不意にドアが開いた。すると息を切らして来栖翔が入ってきた。そのすぐ後ろからは四ノ宮那月が笑顔でやってきた。
「だーかーらー俺はピヨちゃんなんかぜってえええええ被んないからな!」
「翔ちゃん絶対似合うよ!だからほら、これを・・・」
「だあああああ、やーめーろー!!!」
部屋に入るなり来栖翔が走り回る。周りのスタイリストさんたちはくすくすと笑いながら「また始まった」などと呟いていた。近くにいた来栖翔のスタイリストさんに「何ですか?」と尋ねると、四ノ宮那月はどうしても次の企画でピヨちゃんを被った来栖翔を撮って欲しいそうだ。そのための交渉をかねてああやって毎日鬼ごっこのようなことをしているそうだ。なんだか微笑ましかった。先ほどはすごくブラックなことを聞いて「あー芸能界って怖いなあ」なんて一般人さながらの感情を抱いていたが、こういうことを耳にするとすごく微笑ましくて和んでしまう。ああ、こんな二人のどちらかのスタイリストの代理だったらなあとふと思ってしまう。と、そこに遅れて他のメンバーがぞろぞろと入ってきた。もちろん神宮寺さんはまたも最後。表情はそれこそ浮かない顔であったが、私と目が合った途端にすごく嬉しそうな顔をして大きく手を振ってきた。私はぎこちなくそれに返す。
「やあ、レディ。早かったね」
「まあ、確認があるので・・・」
私がまた生真面目でつまらない切り返しをする。でも彼は笑顔で頷いて「偉い偉い」と笑って私の頭を軽く撫でた。と、先ほど話していた一ノ瀬トキヤのスタイリストさんの視線を感じた。そうだ、こういうことを続けているのは良くないんだった。私は神宮寺さんの手から避けるようにして頭を動かした。と、少し神宮寺さんが眉を一瞬ひそめたのを私は見逃さなかった。でも私は心の中で小さく呟いた。私は貴方みたいに来るもの拒まずではない、と。
衣装を着終えてメンバーたちがぞろぞろと戻ってきた。その中に、神宮寺さんはもちろん居て、私はすぐさま駆け寄った。そして最終確認をする。神宮寺さんは着こなしも自分でしっかりと決めてしまうので、特に直すべきところはあまり見当たらなかった。それでも仕事は仕事だし、私はじっと真剣な眼差しで彼の服を見つめた。と、偶然、神宮寺さんの手元に目が行った。左手の薬指に何か光っている。じっと目を凝らすとそれは指輪だった。―・・・。一瞬固まってしまった。それに気づいたのか彼は手元を自分で見て「ああ」と行って指輪を外し始めた。
「危なかった。つけて収録するところだった」
「き、気をつけてください。・・・まさかさっきの収録でも・・・?」
「や、あの時はスタジオ入りする前にちゃんと外してた」
良かった。私はほっと胸をなでおろした。でも左手の薬指・・・、本来恋人がいる場合や結婚している場合にはめる位置だがきっと神宮寺さんの場合は前者だろう。ただ、指輪をしているってことはいくら神宮寺さんとはいえ、大切なたった一人の存在というものがいると仮定してもいいのだろう。けれど、その憶測はすぐに覆されてしまった。
「昨日あるレディの家に泊まっててさ、今日の朝、家出るときに貰ったんだ。『これつけて収録してほしい』って。で、何で?って聞いたら『私のものだって証明するため』って。さすがにそれはできないよね。まあでも貰ってつけないわけにはいかないし、せめて移動中にはつけてあげようかなって思ってさ」
私は返す言葉が見つからず目を泳がせていた。もうどこから突っ込んだらいいのか分からない。この人は私とは同じ世界の人じゃないみたいだ。次元が違う。神宮寺さんは話を続けた。
「でも俺、指輪って嫌いなんだよね。ほらなんか重たいじゃん?」
それが物理的になのか論理的になのか、私には分からなかった。けれど曖昧に頷いて話を流すことしか私にはできなかった。余計な反応をするくらいならこうして流したほうがいいに決まっている。私は腕時計に目をやって「時間だ・・・」と呟くと辺りを見回した。他のメンバーとスタイリストがぞろぞろと出て行っている。それを見て神宮寺さんは先ほどのことを反省したのか素直に他のメンバーの後をついていった。私はなんだか敵から逃げ切ったみたいな心持ちでほっと息をついた。と、不意に神宮寺さんがこちらを振り返ってやってきた。私はまたキスされるのではないかと思い身構える。次こそはかわすんだ・・・そう思ってどう避けようか考えていると目の前で神宮寺さんは立ち止まった。そして顔を近づける。私は思わず目を閉じてぎゅっと拳を握った。
「これ、君が預かっててよ」
そう囁かれた。私はゆっくりと目を開ける。すると神宮寺さんは微笑んで私の手をとり、指輪を握らせた。そして「またね」と手を振って彼は走って部屋を出て行った。私は手に握らされた指輪をじっと見つめる。指輪には確実に神宮寺レンのイニシャルではないイニシャルが刻まれていた。きっと彼女のだろう。私はそれを再びぎゅっと握った。
「わざわざ私に預けなくても・・・」
それからの仕事中、私はなぜか常にポケットを意識していて、どこか落ち着かなかった。
ドロシーの指先
----------------------------------------
120301