あっという間に時が過ぎ、レコーディングテストまであと3日を切っていた。
私は以前、友千香ちゃんに言われた言葉が少し気にかかっていて、音也くんと接するのが少しぎこちなくなっているような気がしたが、音也くんもなんだか同じくらいの時期からぎこちない気がしてお互いそんな感じだから上手く歯車が噛み合っていてなんともないように感じられた。まあ、別にこれといって支障はきたしていないし、それよりも何よりも今はテストをどう乗り切るかが大問題なのである。

「ここ、もうちょい強いほうがいい?」

「うん、そうかも・・・。あ、でもこの後がこういう歌詞だからそんなに強すぎなくていいかも」

「じゃあ、一旦歌ってみるよ」


そう言って彼はマイクの前に戻った。そう、今日はやっと取れたレコーディングルームでの練習。
今までずっと予約が入っていて中々とれなかったのだが、偶々この時間帯を予約していたペアが欠席してしまったため、代わりにこの部屋を使えることになったのだ。今思えば、こんな直前に本番と同じ条件で練習できるなんて、すごくいいことではないか、と思えてくる。私はガラス越しに彼を見て、準備が整ったのを確認すると頷いて合図を出した。

音楽が始まる。もう何度このイントロを聞いただろうか。この課題曲は月宮先生が歌うはずだった曲で、世に出る前に没になってしまったものだという。でも、没になる理由が分からないくらいこの曲は素敵で、歌詞もリズムも私が気に入っていた。音也くんも初めて見たときから歌詞を気に入っていて、お互いこの曲に刺激を受けた部分もあった。だからこそ、この曲に対する思い入れも強いし、合格を勝ち取りたいと思っているのだ。


歌が終わると、音也くんはこちら側までやってきた。さっきの歌、すごくいい感じだった。今までで一番良い出来かもしれない。私が講評をしようとしたその瞬間、レコーディングルームの重い扉が開いた。私と音也くんははっとして振り返る。と、そこに現れたのは一ノ瀬くんだった。



「トキヤ?」


音也くんが少し表情を強張らせて名前をつぶやいた。私は以前会った時のことを思い出して思わず俯いてしまう。一ノ瀬くんは黙ってかつかつと音を立ててこちらへ向かってくる。


「今の時間帯は、私がここを予約したはずなのだが」


欠席したのって一ノ瀬くんのペアのことだったんだ・・・。なんて思ってはっとして顔を上げると一ノ瀬くんが少し息を切らして汗を掻いているのが見えた。きっと急いでやってきたのだろう。私は楽譜をまとめて音也くんをちらりと見た。すると彼の顔つきはあまりにも険しくて私が言いかけようとした次の言葉をも封じ込めてしまった。



「でも、トキヤたちが来ないから俺たちが使って良いってことになったから。だから、ここを出て行くことはできないよ」


そう言って私の方を見た。私が楽譜をまとめていたのを見ると彼は少し笑って頷いていた。私はその頷きを見てそっと持ち上げたカバンを再び椅子に置き直した。



「・・・そうですか、じゃあ仕方ありませんね」


そう言って彼は溜息をついてレコーディングルームを出て行った。
扉の閉まる音が部屋に反響する。私たちは少しの間沈黙を保っていた。
と、音也くんが振り返って口を開いた。


「あと20分しかない。できるだけたくさん歌おう」


そう言って彼は楽譜を手に取るとマイクの方へと向かって行った。





























レコーディングルームでの練習を終えて、さっきの練習で気になったことや意見を交換し合いながら私たちは廊下を歩いていた。でもお互い一ノ瀬くんのことは話に出さず、というかなんとなく出しちゃいけないような気がして話題を避けていた。

「あと少しだね。追い込み、頑張ろう」

「うん」

私が頷くと急に彼は私の顔を覗き込んできた。私はびっくりして思わず立ち止まる。すると彼も立ち止まる。と、少しの沈黙の後、音也くんは口を開いた。


「さっき、トキヤが来たとき帰ろうとしたよね?」

「・・・うん」

やっぱり見られていたんだ・・・。私はなんだか申し訳なくなって俯いた。
すると音也くんは「あ、いやそれが悪いとかじゃなくて・・・」と戸惑いながら弁解してくれた。

「俺、やっぱりトキヤには負けたくない気持ちが強くてさ。すっげー朝早くからトキヤ、バイトでいなくなったりするし、夜も遅くに帰ってきたりするし、課題曲練習してる感じ無くて、でもあの歌声は天性のもので、多分練習しなくても上手いし・・・あっさり合格しちゃうんだろうなって思ったら悔しくて。だから、ああやって遅刻してきても、なんかトキヤだって考えたら譲れなくて・・・ごめんね」


力なく笑って彼は再び歩き出した。私もそれについていく。
私は少し小さく見えた彼の背中に何かしてあげたくて、思わず口を開いた。


「ううん、謝らないで。そういう音也くんの姿勢、すごく素敵だと思う。だから、音也くんは音也くんを貫いてほしいな」


私がそう言うと彼ははっとして振り返った。そしてたちまち嬉しそうな顔をして大きく頷いた。



「ありがとう、俺、ほんっっととペアになれてよかった。超頑張るね!」


そう言った彼はとてもまぶしくて私は思わずそっぽを向いてしまった。
すると彼も同じようにそっぽを向いて小さく「ごめん」と言った。それがなんだか可笑しくて私がぷっと吹き出すと彼もつられて笑う。それが段々大きくなって、誰もいない廊下に響き渡った。


ああ、本当に楽しいな。






























音也くんと分かれて私が一人で廊下を歩いていると、月宮先生が通りかかった。
私は思わず声をかける。すると先生は笑って手を振ってくれた。


「あら、ちゃん。具合はどう?」

「おかげさまで、大丈夫ですよ。あれから、歌ってないですし・・・」

「そう・・・」


歌わないとどの程度痛みが強いのかも分からない。だけど、あの痛みは本当に苦しくて、
今この大切な時期に味わいたくないものなので歌うこと自体避けていた。
月宮先生は少し悲しそうな顔をして私を見たので話題転換を試みた。


「レコーディングテスト、もうすぐですね!」

「そうねえ、オトくん頑張ってる?」

「はい!本当にもう音也くんの歌声と歌がマッチして素敵なものが仕上がってきています」

「そう、それは楽しみだわ」

「はい。必ず素敵なものにしてみせるので、楽しみにしててください」


私がそう意気込むと月宮先生は声を上げて笑った。可愛らしい笑顔が夕焼けに照らされてキラキラしている。


ちゃん、本当に元気そうで良かったわ。なんだか最近とてもキラキラしているわ」

そう言われて私は少し恥ずかしくなって俯く。すると月宮先生は私の頭を優しく撫でた。


「本当に・・・良かったわ」

「先生・・・」


本当に心配してくれていたのだろう。
すごくそれが伝わってくる。こんな風に真剣に心配してくれたのは、両親が生きていた時以来だ。
私はなんだか泣きたくなったけれど、先生を困らせてしまうだろうと思ってぐっと涙を堪えた。


「お、じゃねぇか」


と、そこに日向先生がやってきた。私ははっとして顔を上げた。


「ねえ聞いてよ龍也、今度のレコーディングテスト。AクラスもかなりSクラスを追い詰めることになりそうよっ」


そう言って私の両肩を掴んだ。
私ははっとして日向先生はにやりと笑っていた。


「ほう、じゃあお手並み拝見と行こうかな。悪いが、俺のクラスはSクラスだしな、上手い奴揃ってるぞ」

「が、頑張ります!負けません!」


思わずそう力強く言う。私は言った後にしまった・・・という顔をしたがもう遅くて日向先生はさらににやりと笑ってこちらを見た。


「威勢のいい奴は嫌いじゃない。せいぜい、頑張れよ!」


そう言って頭をくしゃっと撫でてくれた。私はくしゃくしゃになった髪に触れながら去っていく日向先生を見た。


「あんなこと言っちゃって、龍也もすごくあなたのこと心配してたのよ」

「そうなんですか・・・?」


私が訪ねると月宮先生は頷いた。


「そう、あなたは一人じゃないのよ」


その言葉が私の心の中を大きく照らした。


Con moto


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120225