この学校に休みは存在しない。レコーディングテストが終わり、ひと段落したようにも思えたが、それは間違いだった。この後、作曲家コース、アイドルコース共々学期末試験が控えている。これを超えなければ夏休みはやって来ない。作曲家コースは音楽用語等の筆記試験とテーマに沿った作曲を行うことが試験問題となっている。一方でアイドルコースは作曲家コース同様の筆記試験と歌唱力、ダンス、フリートーク力の実技試験が行われる。この期間はパートナーとの練習をする、というよりも自分ひとりで勉強していく時間のほうが圧倒的に大切である。

私は音也くんとの練習もやめ、屋上に行く時間も削ってひたすら図書館で勉強する毎日を送っている。音也くんは音也くんで歌、ダンス、フリートーク、そして筆記試験の勉強もあるため、中々顔を合わせることが出来ない。教室では席も隣で近くにいるはずなのだが、音也くんはここのところ疲れているのかぐったりとしていて、中々会話らしい会話をしない。仕方の無いことだけれど、少し寂しく感じてしまう。

図書館での勉強もひと段落して私は寮へと戻った。今すぐにでもベッドにダイブしたいところだが、それをぐっと我慢して、私は机へと向かった。作曲を進めなくては・・・。と、私の携帯電話がブレザーのポケットで鳴るのを感じた。私は携帯を取り出して、サブ画面を見て顔が綻ぶのが分かった。―音也くんだ。


「・・・もしもし?」

?もー俺限界。と屋上で歌いたいよ」

少し大きめの声で言っているのが受話器越しに伝わる。私は少し吃驚した。今まで勉強していても、何一つ弱音を吐かなかった彼が今、こうして本当につらそうにしている。それはいかにこの道が厳しいものなのかを表しているようだった。


「私も音也くんと屋上行きたいなあ」

「終わったらいっぱい練習しような!それから、レコーディングテスト終わったらどっか行く約束、覚えてる?」

「うん、覚えてるよ」

「このテスト終わったら、絶対行こうな。俺、それ支えに頑張るから!」

私はそれに頷いた。それから数分程度他愛の無い話をして私たちは電話を切った。ほんの少しの時間だけれど、すごく楽しくて、もっともっと音也くんと話したいなって思った。それから、名前もちゃんとあれ以来私のことを呼び捨てにしてくれる。そんな些細なことが嬉しくて、私は自分でも恥ずかしくなるくらいに浮かれていた。携帯を机に置いても鼓動はまだおさまらない。私は首をぶんぶんと横に振って携帯をカバンの中へ忍び込ませた。



―集中しなきゃ。















次の日、教室へ行く途中私は一ノ瀬くんとばったり曲がり角で会った。目が合うと彼は立ち止まって私に頭を下げたので私もすかさず同じように頭を下げる。すると彼の方から口を開いた。


「合格、おめでとうございます。吃驚しました、音也があんなに高得点をたたき出すとは・・・Sクラスでも中々あのテストには苦戦している人たちが多々いましたから」

「ありがとうございます」


きっと一ノ瀬くんも合格したのだろう。あの日、少しだけ聞いた歌声に魂を揺さぶられたのは今でもまだ鮮明に覚えている。あれはプロの歌だった。あのままCDを出していてもおかしくないくらいに・・・。そういえば彼はHAYATOの双子の弟なんだとか。本当に見れば見るほどそっくりなのだが、あの歌声に、音色に、HAYATOは存在しなかったようにも思える。その点、やはり兄弟としての違いが見出せる。

「それから、この間は失礼なことを言ってしまいましたね。すみません」

一ノ瀬くんが頭を下げる。私は急に申し訳なくなってしまい慌てて彼に顔を上げるように言った。すると彼は「優しい方ですね」と微笑んでくれた。その笑顔にほっとしながら、私は一ノ瀬さんに挨拶をしてから彼と反対方向へと歩いていった。と、遠くから彼が「さん!」と呼ぶ声が聞こえた。私がはっとして振り返ると一ノ瀬くんは笑ってこちらへ近寄ってきた。

「音也なんですが、毎日毎日『さんと練習したい』って五月蝿いんです。定期試験が終わったら思う存分練習してあげてください」

少し困ったように、彼は笑った。私はそれを聞いて少し噴出してしまった。―音也くんそんなこと言ってるんだ。なんて思いながら私は一ノ瀬くんに向かって大きく頷いた。


―私も本当はすごくすごく一緒に練習したい。


「早くテスト終わらないかなあ」


気が付いたら、私はそう小さく呟いていた。




















テストが近づいてきて、授業もスピードアップして、クラス全体の雰囲気もなんだかいつものような活気は無くて、休み時間も皆自分の席から離れることなく勉強していた。それもそのはずだ。ここにいる皆は同じ夢を抱いているひとたちで、志はものすごく高いのだ。こんなところで躓いている暇は無いのだ。私は作曲の続きにとりかかろうとメモ用紙を取り出した。ここに曲にとりいれたいリズムなどをメモしておいて後で家でまとめるのが私のやり方である。私はふと天井を見てぼんやりと頭の中でリズムを奏でる。と、隣で音也くんがぶつぶつと教科書を読む声が聞こえた。きっと筆記試験の勉強をしているのだろう。私はそれをじっと見ながら、ふと音也くんを見た。その目は真剣そのもので、真っ直ぐだった。―そうだ、こんな真っ直ぐな姿勢と夢をテーマにした曲を描きたい。音也くんを見ていると不思議とメロディーが頭の中に浮かんでくる。それはとてもキラキラしていて、私ひとりじゃ考えることのできないもので。ああ、こんなところでも音也くんに支えられているのだなあと実感した。きっと、彼がいなかったら私はこんな曲を作ることも出来ないんだ。私は音也くんに聞こえないくらいの声で「ありがとう」と呟いた。


「え?」


聞こえていたのか、音也くんは顔を上げた。思わず目が合う。私は顔が熱くなるのを感じた。なんだろう、このドキドキ。私は思わず目を逸らす。すると音也くんは顔を覗き込んできた。

「何?どうしたの?」

「な、なんでもないよ」

私がそういうと音也くんは首をかしげて「変なの!」と笑った。そうして彼は教科書に目を戻した。まだ鼓動がおさまらない。私は音也くんにバレないようにぎゅっと胸元を握った。






















放課後、私は誰もいなくなった教室でピアノを弾くことにした。ホームルーム中に課題のメロディーがふと浮かんできて、居てもたってもいられなかったからだ。私はピアノでそれを確かめるように弾いて、いいと思ったものからメモしていく。やっぱり、こういう風に曲が出来上がっていく瞬間ってとても気持ちのいいものだ。私はメモを改めて見直す。―早く楽譜にしたい。私はそう思ってそのメモを手帳にそっと挟んだ。と、教室の扉が開く。振り返るとそこには月宮先生が立っていた。


「あら、ちゃん。まだ練習してたの?」

「はい、今作曲の課題でいいものが浮かんで・・・」


私がそう言うと先生はこちらにやってきた。そしてピアノの鍵盤にそっと触れる。

ちゃん、この間のレコーディングテスト。私びっくりしちゃった」

「え・・・?」

私が顔を上げると、先生はにっこり笑って私の頭を撫でた。


「二人の心が通じ合っている、そんな素敵な演奏だったわ」

「ありがとうございます」

「あなたたちって本当に信頼しあっているのね。演奏からも伝わってきたわ」

信頼・・・、先生の耳にそういう風に届いたんだなあと思うと、嬉しさで胸がいっぱいになった。やはり、こうやって誰かの胸に響くものが作れるということは私の目指すところでもあるから。私が照れ笑いをすると先生はもう一度頭を撫でた。


「だから、これからも二人で頑張って。あなたたちとってもお似合いだわ」


そう言って先生は教室を出て行こうとしたが、何かを思い出したのかドアの前で立ち止まってこちらを振り返った。



「オトくんにって呼んでもらえてよかったわねっ。」


「乙女の目はごまかせないんだからっ」、そう付け足し、ウインクをして先生は教室を出て行った。私はドアの閉まる音と同時に鼓動がどくん、と脈打つのを感じた。


なんで知ってるんだろう・・・?


私はもう一度頭の中で月宮先生の言葉をリピートする。すると恥ずかしさがじわじわとこみ上げてきた。私はしばらくその場から動けなかった。

Auftakt


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120312