忘れたころに、痛みはやってくる―。
「さあ、今日から課題曲実習ねっ、パートナーの子と一緒に課題曲を完成させてちょうだい。
それで、完成した曲を5月の末にやるレコーディングテストで披露してもらうからね」
GWを目前に先生は大きな課題を私たちに出してきた。
学校生活にも慣れ始め、皆各々のパートナーとも親交を深めつつある。
私も音也くんと屋上で音也くんがギターで音を奏でるのを聴いたり、
作曲の勉強をしたり、たまに友千香ちゃんや音也くん、真斗くん、那月くんと
勉強会をしたり、たくさんの時間を仲間とともに過ごした。
それらはどれも私の中ですごく大きくて毎日が本当に大切だった。
そして今日、ついにはじめての課題が出された。
私は息を呑んで月宮先生を見つめた。
月宮先生は明るい声で不安そうな素振りを見せる生徒を励ましていた。
「大丈夫よ、一人でやるわけじゃないんだから。ここ1ヶ月できっとパートナーの子とは結構仲良くなったと思うの。だけどそれはまだ1ヶ月で築いた仲であって、完全にお互いのことを知ったわけではない。だったらもう少し親交を深めてから、レコーディングテストはやるべきなのかもしれない。けれどね、今ここでやっておけば、成功しても失敗してもこの経験を踏み台にすることができるの。それから夏休みの取り組み方の方向性も分かって来るわ。だから、二人で今出せる力を十分に発揮して頑張ってちょうだいね」
そういいながら月宮先生は課題曲の歌詞と楽譜の印刷されたプリントを渡してきた。
私はそれをじっと見つめる。・・・課題曲にしては難しい。楽譜を目で追うごとに不安が増していく。
「っ」
と、私の不安を掻き消すように音也くんの声が聞こえた。
私ははっとして顔を上げて横を見る。すると音也くんは歌詞のプリントを指差して笑った。
「これ、すげーいい歌詞」
私は歌詞のプリントに目をやった。
本当だ・・・力強くて、すごく前向きな歌詞・・・そして、音也くんが好きそうな歌詞だ。
私は先ほどまでの不安がすっと無くなっていくのを感じた。
そうだ。一人じゃないんだ。
音也くんを見る。
私には音也くんがいる。大丈夫だ。
だってあんなにほとんど毎日のように屋上でギター弾いたり、歌をうたったり、
私の作曲に耳を傾けてもらっていたんだ。大丈夫。
わたしはぐっと拳をスカートの上で握って前を向いた。
*
「レコーディング実習かあ・・・楽しみですねぇ」
お昼休み、食堂でいつものメンバーで昼食を食べていると、那月くんが不意につぶやいた。
真斗くんが頷きながらお茶を手に取る。
「そうだな、ここからやっと本当の意味での授業が始まるんだな」
「そうですねぇ、音也くんとちゃんはどんな感じで進めていくつもりなんですか?」
那月くんがにっこり笑って私と音也くんを見つめた。
すると音也くんがこちらを見てにかっと笑う。
「俺らはまずメロディとリズムを完璧にしたいって思ってて、歌に強弱つけるのは後からやっていこうかなって」
音也くんがそう言ったので私はすかさず頷いて那月くんを見た。
「、ピアノ弾けるのか?」
と、真斗くんが私の方を見ながら尋ねてきた。
「ちょっとブランクがあるけど、弾けるとは思う・・・でもちょっと不安で」
私がそう言うと真斗くんはいきなり私に手を差し伸べてきた。
状況が把握しきれず、不思議に思いながらとりあえず手を出すと真斗くんが私の手を包むように握ってきた。
「わ!」
私は思わず声を上げて固まった。
真斗くんの手・・・すごく暖かい。真斗くんが私の手を真っ直ぐに見つめている。
私は心臓がドキドキと脈打つのが分かった。
・・・き、緊張する。
真斗くんは、あまり喋るほうではなかったから、こんなことをいきなりされるとすごく戸惑ってしまう。
私が目を泳がせていると音也くんが私の隣でそれをじっと真顔で見つめていた。
「・・・すまない、いきなり」
その音也くんの視線を感じたのか、真斗くんはすっと手を放して椅子に座りなおした。
「の手はピアノを長らくやっていた手だな。ブランクはどのくらいだ?」
「えっと・・・3年くらいかなあ」
「・・・まあ、大丈夫だろう。後でピアノ、聞かせてくれないか?」
「え?」
「参考程度にのピアノが聞きたい」
真斗くんは少し笑って私の方を見た。
私はなんだか嬉しくなって大きくうなずいた。
すると隣で音也くんが頬杖をつきはじめた。
それを見た友千香ちゃんが身を乗り出して音也くんの顔を覗き込む。
「なになに?嫉妬?」
友千香ちゃんがそう笑って言うと音也くんは「なっ」と言って思いっきり立ち上がった。
みんなの視線が音也くんに集まる。
「ち、ちがうよ!そりゃあ、のピアノが上達することは俺にとっても嬉しいことだし、
別に真斗と一緒にピアノ弾いてるからって・・・俺はパートナーだけど、そこまで・・・・」
段々と言葉が小さくなっていく音也くんは一瞬私の方を見た。
私は「え?」と首を傾げると悔しそうな顔をしてぷいっとそっぽを向いてしまった。
「お、俺・・・ちょっと用事思い出した!先行くね」
そういって音也くんは食堂を早足で出て行ってしまった。
残された私たちは顔を見合わせる。
「どうしたのかな、音也くん」
私が沈黙を破るようにそうつぶやくと友千香ちゃんが真っ先にため息をついた。
「、ほんとに分かってないの?」
「え?」
「ほんっっとに何も分かってないの?」
「・・・え?」
私が首を傾げると友千香ちゃんはもう一度ため息をついて頭をくしゃっと掻いた。
「こーりゃ、音也も大変だわ」
私はその言葉の意味が分からず、不思議そうに友千香ちゃんを見るだけだった。
*
放課後、私は真斗くんにピアノを聴いてもらうために、教室に残った。
真斗くんが音也くんに「残って、の演奏聞いたらどうだ?」と提案していたが、
音也くんは「俺、課題曲の練習しなきゃいけないし」と苦笑いしながら帰ってしまった。
はじめての、別々の放課後。
お昼休み以来、私と音也くんの会話は少なかった。
音也くん、怒らせちゃったのかなあ?
何度考えなおしても思い当たる節は見つからない。
でも、きっと私の何かがいけなかったんだ。
友千香ちゃんにも聞いてみたけれど、彼女もため息をつくだけで何も言ってくれなかった。
・・・なんだろう?
心の中がざわつく。
私はため息をついて窓の外を見た。
今日もきっと、屋上で見る夕日は格別なのだろう。
と、ぼんやりと考えていると真斗くんが教室に入ってきた。
私が席を立って真斗くんの名前を呼ぼうとした瞬間、真斗くんの後ろから
もう一人、人が入ってきた。
挑発するように胸元を開けている、いかにも大人な感じの人だ。
「、遅くなったな。こいつが行きたいって聞かなくて・・・」
「え・・・?」
「おお、可愛いレディだね。俺は神宮寺。神宮寺レンだ、よろしくね」
そう言って私の方へ駆け寄ってきて急に握手を求めてきた。
私がそれを握り返すと、彼はその手をぐっと引いて私をすっぽりと自分の腕のなかへ収めた。
私は状況が掴めなくて目が回るのが分かった。
・・・何なの、このひと・・・?
「神宮寺、やめておけ。彼女が困っている」
真斗くんの声が聞こえ、私はやっと腕から解放された。
神宮寺さんはやれやれ、と言って首を横に振った。
「いいじゃないか、これくらい。ねっ、レディ?」
私が戸惑って返事をせずにいると真斗くんが横から私の手を引いてくれた。
私は真斗くんを見上げる。
「こんな奴に構っていると、いつまでたっても帰れなくなる。、ピアノを」
私はそう言われてピアノの方へと向かった。
そして椅子の高さを調整して座る。
久しぶりに鍵盤を目の前にして、私は少し緊張していた。
指が少し震えている。
大丈夫、弾ける。
*
放課後、ぼんやりと窓の外を見上げながらギターを背負い廊下を歩いていた。
少し反省はしている。
まだ出会って1ヶ月も経っていないのに、何でこんな大人気ないところを見せてしまったのだろうか。
・・・自分でもよくわからない。
別に、怒っているわけじゃない。
けれど、彼女はきっと俺が怒っていると思っているのだろう。
早く誤解を解かないと。
でも、どうやって―?
考えれば考えるほど分からなくなる。
思わず早足になる。
とりあえずギター弾いて気分転換しよう。
そう思っていると、聞き覚えのある声が先にある曲がり角の方から聞こえてきた。
じっと耳を凝らしてみる。
「Aクラスの、大丈夫なのか?」
「え?あぁ、まだ大丈夫よ。特に異常はないみたいよ」
きっとこの声は・・・日向先生とリンちゃんだ。
立ち聞きはよくないけれど、自分のパートナーのことを話しているのであれば
聞いてしまう。足を止めて意識をそちらへと集中させる。
「そうか、ならいいんだけどな。もしもの場合は・・・分かってるよな?」
「わかってる、オトくんとのパートナーは解消させる・・・それでいいんでしょう?」
「ああ、そうならないように俺たちは祈ることしかできないんだけどな」
「そうね、最悪の場合、ちゃんは学校にいられなくなるかもしれないものね」
・・・何のことだ?
今すぐ曲がり角を曲がって聞きたい。
けど・・・
足が動かない。
日向先生の落ち着いた声と、リンちゃんのいつもらしくない声が織り出す音に
言葉が見出せない。一体何の話だ?状況がつかめない。
学校にいられなくなるって何?
パートナー解消って何?
段々と遠のく二人の声に縛られたまま、しばらく動くことができなかった。
Grave
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