空は春空から夏空へと変わっていこうとしている。
5月に入った。ゴールデンウィークということもあって、学校は全面的に休校となっている。
家を出て寮生活をしている学生たちにとっては数少ない帰省の機会でもある。
まあ、そうはいっても私は帰る家など無いのだから、寮に残るわけで。
「、帰らないの?」
「あ、私は・・・うん、寮で練習してるよ」
友千香ちゃんは荷物をまとめながら不思議そうな顔でこちらを見た。
私は頷いてカレンダーを見る。今日から3日間。友千香ちゃんのいない部屋で過ごすことになる。少し寂しいかもしれない。
あの音也くんとぎくしゃくしたときだって、いつだって友千香ちゃんは私を支えてくれた。
明るく元気付けてくれたりもして・・・たった3日間、たったそれだけの期間なのに、離れるのはやっぱりちょっぴり寂しい。
「そっか。まあ、私も3日で帰ってくるから、待っててね」
「うん」
私がそう頷いて友千香ちゃんを見つめると、友千香ちゃんの顔は段々と曇っていった。
心配になって名前を呼ぼうとすると友千香ちゃんは私をぎゅっと抱きしめてきた。
「なんか寂しいね、すぐ帰ってくるからね」
「うん、早く帰ってきてね」
「あははっ、このやりとり恋人みたいだね」
なんて明るく笑って彼女は私の体から離れた。
そしてドアノブに手をかけてこちらを振り返った。
「じゃあねっ」
「気をつけてね」
ドアが閉まる。
しん、と静まり返る部屋。
一人になっちゃった。
寮に入る前はずっと一人で暮らしていたからこんなの慣れているのに―
ダメだなあ。
誰かと一緒にいる感覚を一旦味わってしまうとそれに依存してしまう。
私は携帯を手に取り、電話をかけた。
*
「お、おはよ!」
「・・・お、おはよう」
待ち合わせはAクラスの教室。
私が教室のドアを開けると音也くんは自分の席に座って音楽を聴いていた。
あれ以来、会うとちょっぴり心臓がはねる。
ぎゅって抱きしめられたからか、離さないって言われたからか、
おそらく全部が原因なのだろうけど。
私は軽く会釈して音也くんの隣に荷物を降ろす。
「・・・なんか、ちょっと恥ずかしいね」
一瞬私の心の中が読まれたのかと思ってびっくりして思わずノートを落とした。
「ちょ、?」
「ごごごごめ、ちょっとびっくりしちゃって」
私が慌ててノートを拾おうとしゃがむと上で音也くんが笑う声が聞こえた。
そして一緒になって音也くんもしゃがんできて私をじっと見つめてくる。
「、取り乱しすぎ」
さっき、恥ずかしいねって音也くん言ったのに。
全然、そんな素振り見せてない。私ばっかりが恥ずかしい思いしてばっかりじゃないか。
なんて思ったらなんだか悔しくて、私はノートを拾うとすぐに立ち上がってカバンの中から
楽譜を取り出した。そしてしゃがんでいる音也くんを見下ろしてみる。
「練習、しよう!」
私がそう言うと音也くんはにかっと笑ってピースサインをして頷いた。
「おう!今日はたくさん歌うぞー!」
*
「「むー・・・」」
昼過ぎの教室で、私たちは唸っていた。
教室にあるピアノでメロディとリズムをとりながら練習してみるけれど、
どうもうまくいかない。楽譜としてはあまり難しいものではないのに・・・
やはり課題になるだけあって、一癖ある。
「もう一回、弾いてみる?」
「うん、なんかどっかが変なんだよなあ・・・」
そう言いながら楽譜を手に音也くんはピアノの前に立った。
私は音也くんと目を合わせてタイミングを見計らう。
「いくよっ」
私がそう言って鍵盤に置く指に力を込めたときだった。
ぐう・・・
ピアノの音でも歌でもない音が鳴り響いたのがわかった。
私ははっとして弾くのをやめた。
音也くんもそれに気づいて息を吸ったが、歌わずに黙り込んだ。
「え?」
私は音也くんをおそるおそる見上げた。
すると音也くんは恥ずかしそうにつぶやいた。
「お腹空いちゃった・・・」
*
「はあー、お腹いっぱい」
「たくさん食べたもんね」
今日は学食が開いていないので私たちは一旦学園を出て、近くのファミレスに入って昼食をとった。
音也くんはよほどお腹が空いていたのか、大盛りのカレーを注文していた。
ファミレスにいる間は音楽の話で盛り上がって、とても楽しかった。
学校の中庭を食後の運動がてら歩いていると、音也くんが急に走り出した。
私は唖然としてその姿を目で追うだけで、足を止めていた。
「ちょっと、音也くんっ?」
「運動がてらにちょっと俺走ってくる。、そこで待ってて!すぐ戻ってくるから」
そう言って猛スピードで音也くんは走っていってしまった。
私は近くにベンチがあったので、そちらへと向かった。
と、どこかで歌声が聞こえてくるのが分かった。
辺りを見回す。
すごく、綺麗で繊細な歌声だ―
と、先の茂みの向こうに人がいるのが見えた。
私は好奇心から、おそるおそる茂みの影から覗いてみることにした。
「あ・・・」
するとそれは音也くんと同室の一ノ瀬くんだった。
初めて見る・・・。そして初めて聞く、歌声。
繊細で、壊れそう、儚げで、でもどこか強い声―
そして、なんて歌が上手いのだろう・・・
圧倒されてその場を動けずにいると、彼の歌声はぴたりと止んだ。
そして、足音がこちらへと近づいてくる。
「誰だ」
「あああ、あのすみません」
「ん?・・・お前、音也のパートナーか?」
知っててくれたんだ・・・。
なんて少し感動しながらも私はおそるおそる頷いた。
「あなたも、練習中ですか?音也はどこに行ったんですか?」
「はい、えっと・・・音也くんは運動がてらに走りに行ってます」
「なるほど、音也のやりそうなことだ。パートナーを放っておいて自分は走りに行く、と」
一ノ瀬くんは先ほどの歌声とは裏腹に冷たい声で笑った。
私は首を振って一ノ瀬くんを見つめた。
「音也くんは別にそんなつもりじゃ「ー?」
と、茂みに音也くんが顔を覗かせた。
彼は私と一ノ瀬くんを見るなり、私の手を引いた。
「トキヤ、に何かした?」
「いえ、別に。お話をしていただけですが」
「だったらいいけど・・・。俺ら、練習してるから」
「そうですか、そのようには見えませんけどね」
一ノ瀬くんと音也くんが睨みあう。
私はどうしたらいいかわからず、ただただ、黙り込むだけだった。
と、音也くんが私の手をぐっと引いた。
「行こう。練習、続けよう」
そう言って音也くんは私の手を引く力を強めてその場を立ち去った。
*
「音也くん・・・?」
少し追い詰めたような顔で音也くんは空を仰いでいた。
私は心配になって握られている手をぎゅっと握り返してみた。
それに驚いたのか、音也くんは繋いだ手を見つめた。
「トキヤ、すごく歌が上手いんだ」
私は頷いた。さっき、ちょっとだけだけど歌を聞いてすぐに分かった。
この人は、本当に凄い人なんだって。
圧倒されて、すぐに胸を掴まれた。うわさでは聞いていたから、それなりに
驚きは少なかったけれど、やはり歌に関しては聞いてみないと分からない。
「俺、トキヤと同室でさ、色々見てきてるけど、あいつ・・・ほんとにすげーんだよ」
「うん・・・」
「このままじゃ勝てない。それもちゃんと分かってる。だからあいつ以上にたくさん練習しないとって」
「うん・・・」
「俺、ほんと負けたくないんだよ、うん。絶対負けたくない。だから「一緒にたくさん練習しよう」
音也くんが言葉を言い終える前に私はそう言った。
「一緒にたくさん練習して、いっぱいいっぱい二人で試行錯誤して、うまくなろう?」
「・・・」
音也くんの追い詰めたような顔なんて私は見たくない。
音也くんの笑顔で歌う姿が見たいんだ。
そして、それを支えてあげるのはパートナーである私。
こんな月並みなことしかいえないけれど、これで音也くんを勇気付けられるなら。
そんな思いを込めて私は音也くんを見つめた。
すると音也くんは嬉しそうな顔をして握る手を離して私をぎゅっと抱き寄せた。
「ありがとう、。俺、すっげー頑張るから」
「うん、私もすっげー頑張る」
音也くんの言葉を真似してみる。
すると彼は笑ってくれる。
そう、その表情で歌って欲しいんだ。
「そうと決まったら、早速戻って練習だね!」
「おう!・・・あ、」
「ん?」
「教室まで、手、繋いで行こう」
一旦離した手をまた繋ぎなおして私たちは教室へ向かった。
Einsatz
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